第3話 挫折の向こう側 -1

2012年10月12日

<<第2話 第3話-2>>

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私が莫大小業に身を投じたのは1994年、大学3年の時でした。
バブル崩壊後の不景気風がいよいよ厳しさを増してきたこの年、私は人生における
最初の大きな挫折を味わいます。



留年 です。


いまから考えれば当然といえば当然のことだったと思います。

私は高校から附属校に無試験で推薦入学。
その後は漕艇部(ボート部)に入部し部活一色の高校時代を過ごしました。
絶対評価の高校は3年間の成績を単純に足せば99%は大学に進学できる。
99%の進学出来ると言っても二部(夜間)も含めた数字。
さすがに二部は嫌だと思い何とか滑り込んだのが経済学部でした。

経済学部? 悪くないのでは?と思う方もいらっしゃると思いますが
当時、附属校内では都心に校舎のある経営学部が人気で高尾山の麓にある
新校舎の経済学部は、それに漏れた者が行くところでした。

結果、経営学部には進めず経済に行くことになったわけですが、とにかく遠い。
入学当時、親に下宿を打診しましたが渋られました。
今考えるとその時、下宿していたらもっと早い段階で留年していたかもしれません。

私の意見の大概は、首を横に降らなかった母が、この時ばかりは縦に振らなかったのは
そんなことを見越していたからだったかもしれません。
とにもかくにも片道2時間の華々しいキャンパスライフは始まったのです。

もちろん最初は真面目に通っていましたが、そのうち、この頃の大学システム
つまり、うまくやりくりすれば取りあえず卒業は出来る。
そんな都市伝説みたいなものにすっかり取り付かれていました。

また、正直言うとこのキャンパスライフに大きな違和感を感じていたのもありました。
男子校3年間の部活一色の生活が自然と『硬派こそ男の魅力』という
価値観を私に芽生えさせていたのです。
そんな私にとって軟派な雰囲気のキャンパスがむずがゆく
決して居心地の良い所とは言えませんでした。

そんな私を遠さと違和感が大学から足を遠のかせたのです。
結果、最低限必要な時以外は校舎には行かず、高校の漕艇部のコーチやバイト、
高校時代の仲間と始めた草野球に没頭して行くのです。

もうお分かりですね? 原因は当たり前ですが単位不足。
ただ、数の不足ではなく一般教養という4年に持ち越せない単位を
1科目だけ落としたことが原因のかなり情けない形。

当然、想定外でした。
成績表を取りに行くことすら既に面倒だった私は友人に代理で受け取りを頼みます。
そんな友人から慌てた声で連絡が入りました。
まだ携帯など無かったので公衆電話から・・・
おい小高!おまえ留年してるぞ=
しばらく真に受けない私に
『本当だって法学を落としてるんだよ』

布と生地

この事件が私の莫大小業への出発点になるきっかけになるとは
この時まだ気づかいない私でした。


つづく


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2位じゃダメなんですかぁ~(笑)
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