第4話 莫大小系小僧奉公

2012年10月26日

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さて、スキー帽の生産を祖母と二人三脚で始めた祖父は
千葉県の外房近くの村で生まれ育ちました。
長男ではなかったため生業を求めて上京、そこで門を叩いたのが莫大小業だったようです。

いまでもそうですが莫大小業、いや繊維業という大きな括りで見ても
特別資格など必要が無く、しかも当時の花形産業でもあったため
手っ取り早いく仕事になるという意味でもそうしたのかもしれません。
そして職人になるべく丁稚、いわゆる修行をすることになるのです。

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丁稚とはそもそも商人が店主、つまり経営者になるためのシステムで
江戸時代から戦後まで続いたと言われています。
10歳そこそこで住み込み働きを始めるのですが、最初はもちろん雑用係。
炊事洗濯や力仕事、時には店先で声を張り上げて売り込みなど下働きの毎日。

しかしその日々の中で、挨拶などの礼儀作法、計算などの商売のいろは
順に学んでいき手代(てだい)という読んで字のごとく主人や番頭の手足となって働く
ポジションを経てから暖簾分け、つまり独立するという仕組になっていました。

このようは丁稚のシステムは何となく商・工でいえば『』のイメージが強いようですが
当然、『』でもこのようなシステムは有りましたし繊維で言えば、通常より
独立するまでの期間が他と比べて短かったのかもしれません。
弊社の職人さんや工場さんもそんな昔ながらの丁稚を経験した方々です。
丁稚という言い方は、関西に多かったようで関東近郊では『小僧』つまり
小僧奉公と呼ばれていたようです。

たまに職人さんの昔話を聞くと『小僧のころは・・・』などと言う言い方をします。
そんな話を聞きながら唯一祖父の思い出というか記憶にあるTVの前でのゴロ寝姿を思い出します。
祖父は、どんな小僧だったのか?

親父から聞く祖父の話は決まって『親父は働き者では無かった』というのが口癖。
まあ絵に描いた職人通りなのかもしれませんが仕事が終わったら飲みに行く。
毎日のように夕方4時には銭湯、そこから2~3軒ハシゴというのが日課といった感じ。
その反面、毎晩のように夜なべする母を見て『お袋は働き者だった』というのも親父の口癖。

工場の職人さんが小僧時代は、繁忙期は寝ずに働き通して閑散期なると
働き通した工賃で遊びまくる。
そして再び仕事が始まるころには、よく社長が『おいOXを探してこい!』と
街に先輩を連れ戻しに行くのが後輩のひとつの仕事だったとか・・・
そんな兄貴分の後ろ姿を見て莫大小系小僧たちは巣立っていったようです。

莫大小業が特別なのかもしれませんが、商での丁稚奉公が経営者になるためと考えると
どうも工の小僧奉公は、それとはまたちょっと違ったのかもしれませんね。

丁稚というのは基本無給金です。その代わり衣・食・住の心配はありません。
雇う側もその保証に加え、商売のノウハウを教え最終的には独立させる。
しかし戦後9年の義務教育化や労働の観点から無給ということも問題になり
自然消滅していきます。

しかし現在でも事業継承の前に取引先や仕入れ先で3~5年務め修行期間
位置づけることがよくあります。
実際、そこでのコネクションを生産に、販路に様々な形で後々生かしていきます。
私も例の一念発起から2年間の工場現場修行の半分を終え、折り返しの時期を迎えていた頃
翌年の卒業後に、お客様で神戸の某服飾資材業社へ実務の修行に3年行くことが決まりました。

大学入学時に一度は夢見た一人暮らし。しかも新しい地での生活に期待を膨らませていました。

しかし・・・

大学の後期試験の真っ最中、1995年1月17日 阪神大震災が起こるのです。
バブル崩壊と相まって暗雲立ちこめる世相。
それを反映してかしないか、始まったばかりの私の莫大小業も
ここでまた新たな方向へと向かおうとしているのでした。


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2位じゃダメなんですかぁ~(笑)
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