沸々とわき起こる言霊

2012年7月20日

生地 リブニット ニット生地
ある同志の行政マンの方の言霊です。
今日はその文章をそのまま載せさせていただきます。
原発がどうのこうのではなく。
単純にこのようなことが全国どこでも
直ぐ私たちの身近なところで起こっているということ。
3.11以降、日本人が心の奥に閉まっていた行動力
うごめき始めています。

これは、それぞれが言霊に正直に生き始めている
からではないか?と勝手に思っています。

他国にODAなど援助していい顔しておきながら
国内では増税で自国民を苦しめる。
内輪もめしてお馬鹿な元総理も処罰できないような与党に
正直未来はありません。

でも国政が腐ってもこういう全国の地方には
まだまだ素晴らしい行政の方々がいっっっっっぱいいらっしゃいます。

私は、彼等を同志として誇りに思い信じています。


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※大変な長文です。関心のない人は読まないで下さい。

今日、オレたちとは切っても切れない友である浪江焼麺太国のメンバーが5人八王子に来る。

オレたちHFAが浪江町にかかわってから、もう1年以上が経つ。
オレたちは昨年、福島県双郡浪江町で、「なみえ焼そば」というご当地グルメで町興しを頑張っている浪江町商工会青年部「浪江焼面太国(なみえやきそばたいこく)」のメンバーに協力し、彼らと一緒に「なみえ焼そば」の普及活動に関わった。

ぶっちゃけて言うと、オレたちは決して彼らの「なみえ焼そば」活動の支援をしたかったわけではない。
オレたちはあるきっかけからご縁ができ、福島第一原発の事故で散り散りになってしまった浪江メンバーの「復興」に協力をしたかっただけだ。

忘れもしない、震災から2か月後の2011年5月30日。
初めて会った彼らに対して、オレたちはいきなり「全員まとめて八王子に避難してこい!」と提案した。
今まで一度も会ったことのないヤツからのいきなりの提案。
彼らにとっては「なんだコイツらは?」と思ったことだろう。
その場は「ドン引き」だった。話も全然盛り上がらない。

そんな中、浪江メンバーの一人から「なみえ焼そば」の話が出た。
その瞬間、ずっとうつむいていた他のメンバーも顔を上げ、「なみえ焼そば」のことを口ぐちに話し始めた。
「今、オレたちがやりたいことは『なみえ焼そば』を作り続け、11月のB1グランプリ姫路大会で優勝し、全国に避難している浪江町民の『心の復興』につなげることだ」
彼らはそうはっきり言った。

オレたちは「これだ!」と思った。 
その活動に協力することが、彼らの復興、浪江町の復興につながる。
即決で「じゃあ、オレたちにもそれを手伝わせてくれ」と提案した。

そして、11月の姫路大会までの5ヶ月間、
オレたちは時間の許す限り、時間が許されなくても、
浪江メンバーと「なみえ焼そば」の活動に没頭した。

最初に彼らとやった活動は、7月に八王子で開催された「あさがお祭り」への出店。
焼きそば活動に慣れていないオレたちは、苦戦した。
全然売れない…… なかなか買ってくれない。
八王子の人たちってこんなに冷たかったのか?
せっかく浪江メンバーがたくさん八王子に来てくれたのだ。
オレたちは「心の復興」に協力することを約束したのだ。
絶対に売らなきゃいけない。 売るんだ!

初日は惨敗だったが、2日目は死ぬ気で売った。
お祭りの終了時間5時をすぎても売った。
そして、奇跡の完売。結局2日で3000食近く売った。
最後の一つが売れたとき、涙が出るほど嬉しかった。
みんなで絶叫した。 みんなでハイタッチしまくった。
浪江メンバーと肩を抱き合って喜んだ。
彼らと信頼関係ができた瞬間だった。

そして、100人分の焼そばを一気に焼くための鉄板の製作。
のぼり旗やTシャツの製作。遠征先への材料の物流支援。
協賛金集め・・・・
オレたちはひたすら動いた。
実際のマンパワー支援として、遠方の遠征まで付き合った。
厚木、お台場合衆国、行田、a-nation、青森、京都・・・・
猛暑の中、オレたちの夏はこの活動に捧げられた。
彼らと一緒に走り抜け、一緒に感動を共有し、
週末は実の家族以上に時間を共有した。

その共有した時間の中で、彼らと色々な話をした。
震災のこと、原発事故のこと、国の補償のこと、
自分たちの仕事の再操業のこと・・・・
そしてオレたちは学んだ。
原発の問題はall Japanの問題であること。
浪江町が復興しなければ、日本は復興しないこと。

11月のB1グランプリ姫路大会。結果は4位だった。
でも順位なんか関係ない。
オレたちは彼らと一緒にやりきったのだ。
彼らと一緒に最高のフィナーレを共有できたのだ。
何よりも、彼らとの信頼関係を得ることができたのだ。
それだけで十分だった。
涙が止まらなかった・・・

そして、それから半年以上が経った。

その間、オレたちは警戒区域である浪江町にも入った。
バリケードを越えなければ入れない街。
防護服を着なくては入れない街。
震災、津波、原発、風評の4重被害を背負っている街。
街は3.11で完全に停まっていた。
この街はこれからどうなっていくのだろう?
この街のためにオレたちは何ができるのだろうか?

そして、浪江メンバーたち。
商工会青年部メンバーである彼らはほとんどが自営業なのだが、
震災から1年半経った未だに「再操業の壁」に苦しんでいる奴らがいる。
それは、国の施策の矛盾に大きな原因がある。
でも、その解決を待っていたら、いつまで経っても復興はできない。

オレたちは「なみえ焼そば」の支援はやり切った。
・・・・でも、浪江町は変わっていないし、
浪江メンバーも本当の意味で復興できていないのだ。

オレたちは今まで何をやってきたのだろう・・・
オレたちはどうすればいいんだろう・・・・
オレたちの浪江支援は、暗礁に乗り上げてしまった。

だから今日、オレたちは彼らの話を聞かなければならない。
彼らの話を聞き、浪江町と彼らの現状を知り、
そして、オレたちに何ができるのかを、ガチに議論をしなければならないんだ。

オレたちは浪江町に関わってしまったのだ。
もう浪江町はオレたちにとって他人事ではない。
一緒に感動を共有した、オレたちにしかできないアイツらへの支援が必ずあるはずだ。
今更後に引けるか!
オレたちの浪江支援は、第2ステージに行かなければならないのだ。

※僕らがやってきた浪江支援についてもしご関心があるなら、http://www.namie-yakisoba.net/ をご参照ください。

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2位じゃダメなんですかぁ~(笑)
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